クギを刺すだけ

 玄関ドアのカギ、これを聞けばほぼ全員が同じものを想像するだろう。そう、溝が彫られた小さな金属製のモノである。しかし、私のなかではそれ以外にもカギと呼べるものがある。

 今は無き母の実家は、私の祖父が生まれたころに建てられたらしく、5年ほど前に祖父が次女の家に引っ越したことを期に解体された。今は完全な更地であり、唯一面影として残されているのは玄関前に埋め込まれた石ぐらいであろう。引っ越した当時の祖父の年齢は80歳であったから、その家は築80年ということである。トイレが水洗式ではなくが汲み取り式いわばボットン便所だったから時代をかなり感じた。そんな家には、今では考えられないものがあった。玄関である。

 引き戸の玄関なのは今でも見かけるからよしとしよう。しかし問題は施錠開錠の仕方である。まず錠がついておらず、両扉枠組みの重なるところに細い穴が一つ開いているだけであった。ではカギは?と思われるだろうが、ただクギを刺すだけであった。五寸クギを扉を閉めた状態で穴に差し込むだけで、それが施錠された状態となる。もちろん外から刺しているから誰でも抜いて開錠することができる。持ち去ろうと思えば誰でも持ち去れる。防犯という言葉がないのかと今でも不思議に思う。

 防犯意識が低いのではなく、空き巣などする人はいないという人々の信頼関係のようなものの化身があの施錠方法であったのか。謎は深まるばかりである。