再開報告

 約一年ぶりの再開となったSaMuのはてなブログ「かきつら」。もとは作文力を上げようとコロナ休校の時期に開設し、高3の1~2月をメインに更新をしていた。再開した経緯は、大学に入り1年後期も終わりに近づいた2022年の年明けに日本全国でまたコロナが大規模流行を見せはじめ、うちの大学は当初冬休み明け最初の一週間を全面オンラインで授業を行うとのことだったが、その後県内でも流行が拡大したため残りの授業もすべてオンラインになってしまった。課外活動が禁止され、部活もできない。いつまでとは把握していないが、部活もない、バイトもさほど入れてないとなるとかなり暇になってしまうため、暇つぶし目的である。つたない日本語をお見せしてしまうのは恐縮だが、誤字脱字はご愛敬だと思って見逃してほしい。

 3月入ってすぐに帰省するので、それまでの更新だと思ってもらって構わない。ちなみに、19時の予約投稿にしているため、その時間以外はアップはしないだろう。それではまた次の記事で。

授業振り返り(1年編)

 2月15日の2限を以て、高校3年間の授業が終了した。2月16日から23日までは自由登校、24日から26日は卒業式の練習のため登校日となっており、明けた3月1日は卒業式となる。こう見えて私は無欠席で過ごしてきたため、ほぼすべての授業に出席した(公欠が2日と遅刻が1日だけあるが、病欠や寝坊ではない)。今回は、一年生の授業の思い出を語っていく。

 課程表を学校ホームページから見てもらえばわかるが、専門科の私は普通科とはまた違った授業を受けていた。例えば、英語では英語表現(英表)やコミュニケーション英語(コミュ英)といった授業はなく、2つを合わせた総合英語(総英)が週4単位あった。英語関連では他にも、異文化理解(異文化)やオーラルプレゼンテーション1(OP1)もそれぞれ週2単位あった。異文化理解やOPは、どちらも外国出身のALTが担当で、どちらも似ているようで似ていない授業内容であった。理科では、ほとんどの学校が物理基礎や化学基礎、生物基礎を履修するのに対し、私の学校では1年生は学科問わず地学基礎を履修していた。さらに普通科は、化学基礎も履修していたが、専門科は2年次からの選択コース次第で化学基礎生物基礎を履修する。詳しくは次回に。国語は、国語総合甲(現代文分野)乙(古典分野)。数学は、数学1数学A。公民は、現代社会のみだが、専門科はそれ以降やることはないのに対し、普通科は3年次に政治経済をやる。芸術分野も、専門科は音楽一択で、1年だけしかやらない。普通科はほかにも美術を選択することが可能だ。 

 一番印象に残っているのは、異文化理解の先生だ。騒々しくなった時はよく怒鳴っていた人だが、ノリがよく、面白い人だった。年が明け、3学期になってすぐに諸事情で突然帰国されてしまい、戻ってくるのかと思っていたがそのまま退職されてしまった。非常に悲しい。新年初回の授業はやったが、その次からは代役が見つかるまで英語科の教員が監督となりその時間は映画を観た。ヒュー・ジャックマン主演「グレイテスト・ショーマン」だったが、テレビがブラウン管で古く、画質は最悪だった。程なくして後任のALTが決まったが、数回授業をしただけですぐ春休みになってしまい、自分のコースの関係上それ以降授業を受けることはなかった。

 

 

私立大入試の思い出

 私の学校では私立大学の推薦入試を、合格したらそこに進学するもよし、抑えとして確保しておいて本命入試に注力するもよしとしていたので、私も、例に漏れず私立を抑えとして受験した。公募制推薦(学校推薦)の併願型で2校を受験したのだが、1校目は非常に思い出に残ったので語っていく。

 その学校は、60分で国語と英語のマーク式試験を行い、公募制ならば面接等は行わずそれで試験終了という、とてもすぐ終わる学校だった。11月の半ば、私は過去問を入手してまずは英語を解いてみることにした。答えは公開されていなかったため、個別指導の担当になっている先生に採点をお願いした。英語は文法問題20問と長文1題6問なのだが、次の日先生に、「非常によくできています。一問ミスがあったのですが解説いりますか?」としか言われなかった。実際見てみると、解いたとき悩んだ文法問題が一問間違っていた。そこは、自分がいつもわからなかったところだから解説を頼んだ。ものの5分で理解した。国語は現代文のみで、問題もどこかのパンフレットから引用した文章で、内容も簡単。国語をあまり得意としていなかった私だが、まぁまぁできた。

 いざ入試当日、過去問の手ごたえからして落ちるわけがないと確信していた私は、手続きを済ませ試験室へ入室した。自分の受験番号と氏名の印刷された紙の貼ってある机に座った。周りはまださほど来ていなかったが、制服は見たことあるところもあればないところもあった。しばらくして、試験官が入室し注意事項を言い始めた。問題が配られ、試験開始となった。英語はやはり簡単。国語も、一問不明瞭であったが、余裕であった。

 試験終了後、周りに誰がいるのかと見まわした。「右斜め前は近所の私立高の制服だな、前と横はわかんないな」なんて思いながら後ろは誰かと見てみると、その制服はやけに見覚えがあった。「あれ。この制服どこかでみたことあるな。近所じゃない。もしかして元カノのとこか。」と思いつつ考えていたら、列ごとに退室が始まった。そして、横の列が退室準備のため起立をしたら、右斜め前の横顔に見覚えがあった。まさかと思い、自分の列が退室するときにその席の氏名を見たら、中学の同級生であった。彼とは多少なり面識はあったが、中学の卒業後全く会っていなかった。髪型も変わっていたから、顔を見るまでは気が付かなかった。

 帰り道、後ろの席の見覚えのある制服をはっきりさせるため、インスタで元カノの同じ学校の人のアカウントで確認したら、やはりあれは元カノの学校の制服であった。あそこで会話したらなにかあったのだろうか、人見知りの私には至極難しいことである。

 入試の結果だが、合格していた。そこの学校を公募制推薦で受験する後輩諸君、試験についてわからないことがあったら私に聞いてくれ。

横澤夏子にそっくり

 2年前の秋頃、私のなかであることがブームになっていた。SNOWのそっくり診断だ。それは、アップした写真から似ている芸能人を診断する、というフィルターで、自分も興味本位で何枚かやった。ある時は映画「スパイダーマン」主人公ピーター・パーカー役のTom Holland、またある時(最近撮った証明写真)は四千頭身・後藤だったりで、時と場合によって結果は大きく変化する。しかし、ある写真に限ってはありえない結果になった。

 2年前の7月、私は道場の七夕会で映画「アナと雪の女王」の主人公アナの衣装を着た。実は私物なのだか、どうして持っているのかというと、高校1年のときにクラス発表でやった劇の衣装で、そのために自費で購入していた。七夕会では何枚か写真を撮ったのだが、しばらくして、いつものようにそっくり診断で遊んでいたところ、かのウサイン・ボルト氏のレース後の「ボルトポーズ」を模したポージングで撮った写真を見つけ、ふと例のそっくり診断にかけてみようと思った。いざ診断にかけてみると、それは芸人の横澤夏子にそっくりとの結果を受けた。

 どこがそう見えるんだよ。顔がはっきり写ってなかったにしろその結果なのはどうなんだ。別に彼女を貶したいわけではないのだが、何とも言い難い結果になってしまった。さっきやったら藤原竜也になったしこれもうわかんねぇな。

石焼きビビンバ火傷事件

 私は、石焼きビビンバという韓国料理に因縁がある。2019年、人生で恐らく初めて食べたであろう石焼きビビンバで事件は起きた。

 その日は、祖父と奥三河の有名なパン屋に行った。店名もドイツ語からもじったものらしく、英語ではなさそうなカタカナであった。10時開店で、店に着いたのは10時20分。しかし近くのドライバーが、「おたくもパン屋行かれますか?どうやらもう売り切れちゃったみたいですよ(笑)」と教えてくれた。いやちょっとまて、まだ開店してすぐたよね。お目当てのパンは買うことはできなかったが、予約注文ができるらしく、明日以降の受け取りだが祖父は了承していくつか予約していった。その後、温泉に入るために近くの温泉施設へと足を運んだ。着いたのは10時40分ごろで、空腹であったが施設内のレストランは11時からの営業だったため先に風呂に入ることにした。

 入浴後、レストランに行った。入店して、メニュー表を眺めた。何にしようかと考えていたが、一番のおすすめは石焼きビビンバだと謳っていたから、人生初石焼きビビンバを食べようとそれを注文した。お目当てのビビンバがこれだ(写真)

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よさげじゃないか。いざ食べ始めるとあることに気が付く。この店のお茶、かなり熱い。ここまで熱湯でなくてもいいのではと思うくらい熱い。味噌汁は、丁度いい。肝心のビビンバ、いつまでたっても器が熱い。当然っちゃ当然かもしれないが、米を当てるといい音が鳴る。15分経ってもう一回当ててみる。まだ音が出る。そこから10分後、まだ熱い。汗も止まらない。しかし、あまりに時間をかけすぎるわけにはいかないと思って、食べ進んでいった。完食したときは、体はほんのり汗が出ており、辛さと熱さで舌先の感覚はないに等しい。ちょうどそのころ、お茶は適温になっていた。

 今年も久しぶりに石焼きビビンバを食べたが、チーズキムチビビンバおいしいな。件の店にはリベンジにいきたい。

GODIVA×コメダ

 今年もコメダ珈琲GODIVAとのコラボ商品を出した。去年よりもメニューはかなり減って、クロネージュ(昨年から提供されているバームクーヘン型スイーツ)にチョコソースやチョコチップなどをまぶし中にはイチゴジャムのようなものが入っている、クロネージュ・リッチショコラのみであった。ネットニュースでこれについての記事を見たとき、去年の思い出が蘇ってきた。

 去年も、2月7日から各店舗で数量限定のコラボ商品を出していたのだが、発売開始から4日後の11日にはコメダ公式から販売終了のお知らせが出た。私は、8日の土曜日に数人でそれを食べに行った。その日は部活は休み、好都合であった。どれを食べるか熟考の末、クリームオーレを注文した。クロノワールもありだったのだか食べる気分じゃなかったから選ばなかった。暫くして、頼んだ品物が到着したのだが、(実際の写真)

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どういうことだ上のクリームがかなり溶けている。向かい席に座っていた友人も同じものを注文したのだが、そちらも上のクリームが溶けていた。私のものに至っては、溶けたクリームがグラスを伝い、紙のコースターが汚れていた。メニュー表の写真とかなり違っていたから、文句でも言おうか迷ったが、店員も忙しそうだしそもそもそんな勇気は持ち合わせていなかったのでやめた。

 後日、そこでバイトをしているという知り合いに訊いてみたところ、どうやらサーバーが壊れていたらしい。クロノワールのクリームも溶けていたが、てっきり熱で溶けたのかと思っていたから困惑の極みであったことは言うまでもない。

 来年もコラボしてくださいお願いします

海外でのボーリング

 いつぞやの回でも話したが、私は高校一年生のときに南半球の某英語圏の国にいった。シャワーの水温調節に苦労したのだが、今回はレクリエーションで行ったボーリングでの出来事を書いていく。 

 ある日、日本語教室担当の現地人の先生が、「みなさん、午後からはボーリングに行きます。担当はPeter先生です。」と、ある男の先生をみんなに紹介した。この先生は体育の授業でも世話になったのだか、その話はいつかしたいと思っている。Peter先生はかなりの高身長で、歳は若そうに見えなかったが短パンにハイソックスの服装は非常に目に焼き付いた。すると、「どうも。これから、歩いて15分くらいのところにある簿リング場に行きます。ちゃんとついてきてくだいさいね。」と挨拶があった。時間になり、いざ出発。談笑しながら進んでいった我々は、どんどんPeter先生が先に進んでいき、もうはるか先を歩いていることに気が付いた。彼は黙々と歩くのだが、異様に速い。一歩が大きいのか、はたまた競歩で歩いているのか。走ってやっとついていけるぐらいの速度で歩く彼についていくのに必死だった。ボーリング場には15分で着いた。そらあんな速さで歩けば15分だろうな。

 いざゲームが始まると、ある問題点が露呈した。私がボーリングが異常なほどに下手なのだ。ガーターを連発し、最終兵器の滑り台を出した。いざ球を転がすと、ノロノロと進んでいくのはよいのだが、ピンまであと少しのところでなぜか球がレーンに転がっていく。私含め周りは大爆笑。球はそのままレーンに滑り込んでいき、見事ガーター。お家芸なのかってくらいきれいに飛び込んでいったときもあった。結果、大敗北を喫しスコアは異次元に低い値に達したときは枕を濡らした。

 帰り道、やはり彼の歩くスピードは異常なほど速い。ジョギング気味でやっと追いついた。やっとこさ学校に着いたとき、我々一同息が上がっていた。彼はケロッとした顔でいる。文化の違いか?